はじめに
本稿では中長期の時間軸で持続的に内部組織から次世代リーダーを育成・輩出する「サクセッションプログラム」を想定した人財開発に関して解説する。具体的に、Chapter1では次世代リーダーの在り方に迫る3つの変化として、人財市場の変化・事業環境の変化・経営トップに求められるCP(Competency:以下、CP)の変化について解説する。続いてChapter2では既存の人財開発モデルの限界と次世代リーダー開発プログラムの必要性について解説する。最後にChapter3ではサクセッションプログラムの要諦として、「全社最適の視座での次世代リーダー人財開発」「将来シナリオの多様性と自己複製からの脱却」「バックキャストに基づく人財開発ストーリー」の3点にフォーカスして解説する。人的資本経営においてサクセッションプログラムは経営の持続可能性と企業価値向上の両面から注目される取組であり、多くの企業で本格運用が進んでいることから、改めてプログラムの今後の課題の棚卸し・解決策の見直し活動等の参考になれば幸甚である。
Chapter1:次世代リーダーの在り方に迫る3つの変化
1-1.人財市場の変化
従来の日本企業における人財開発モデルは、新卒一括採用と長期雇用を前提とした育成が主流であったが、近年この構造はパラダイムシフトを迎えている。プロパー社員の中途転職が増加し、同時に即戦力となる中途採用人財の活用が促進されている。この変化の背景には個人のキャリア観の変化が挙げられる。終身雇用を前提としない働き方が一般化し、自身のキャリアを主体的に選択・構築する傾向が強まっている。またデジタル化やグローバル化に伴う必要スキルの多様化により外部からの人財調達の重要性が増していることも明らかである。
無論この変化は、次世代リーダーの育成・選抜に大きな影響を与えている。従来型のプロパー社員の長期的なモデルだけでは必要な要件を満たす人財を輩出することが困難になっている。同時に中途採用人財の経営層への登用も増加している。このような環境変化に対応するため企業は従来の人財開発モデルを根本的に見直す必要性に迫られている。
特に重要なのはプロパー社員と中途採用人財それぞれの強みを活かしながら、組織全体の価値創造力を高める統合的なアプローチの構築である。プロパー社員は組織の文化や価値観を深く理解し、長期的な視点での事業運営に強みを持つ。一方、中途採用人財は新しい視点や専門性、異なる組織での経験を持ち込むことができる。この両者の特性を効果的に組み合わせることで、より強靭で革新的な組織を構築することが可能となる。
また、キャリアパスの多様化に伴い、評価・報酬制度の見直しも重要な課題となっている。従来の年功序列的な要素を残しつつ、実力や成果に基づく評価をより重視する傾向が強まっている。これは、組織の活性化につながる一方で、長期的な人財開発との両立という新たな課題も生み出している。
このような変化に対応しながら、組織としての一体感や価値観の共有を維持することも重要な課題である。多様なバックグラウンドを持つ人財が増加する中で、組織の求心力を高め、共通の目的に向かって力を結集できる仕組みづくりが求められている。
1-2.事業環境の変化
デジタルトランスフォーメーション(DX)やサステナビリティへの対応など、ビジネス環境は急速に変化している。このような状況下では、従来型の事業経験だけでは、次世代リーダーとして必要な資質を満たすことが困難になっている。この課題に対応するためには、従来の人財開発モデルを見直し、多様な経験機会の提供や、外部知見の積極的な取り込みが必要となる。
このような環境変化に対応するためには、次世代リーダーの育成アプローチを根本的に見直す必要がある。特に重要なのは、従来の直線的なキャリアパスから、より多面的で柔軟な人財開発モデルへの転換である。具体的には、異なる事業領域での経験、スタートアップ企業との協業、海外市場でのプロジェクト経験など、従来の枠組みを超えた多様な経験機会を”意図的”に創出することが重要となる。また、外部の教育機関や専門家との連携を通じて、最新の知見や視点を積極的に取り入れることも必要である。
さらに、育成期間の短縮化も重要な課題となっている。ビジネス環境変化のスピードが加速する中で、従来のような長期的な人財開発モデルでは、環境変化に追いつけなくなるリスクがある。そのため、短期間で効果的に必要なスキルや経験を習得できる、より“集中的”な育成プログラムの設計が求められている。
“意図的”で”集中的”な人財開発モデルを構築するには、従来型の経験や実績にとらわれすぎず、新しい価値創造の可能性を持つ人財を積極的に評価・登用する文化の醸成が必要である。また、失敗を恐れずにチャレンジできる環境づくりも重要な要素となる。
1-3.経営トップに求められるCPの変化
現代の経営トップには、従来以上に高度なコミュニケーション力と事業推進力が求められている。これは、ステークホルダーの多様化と、事業環境の複雑化を背景としている。これらの能力は従来型の業務経験だけでは十分に養うことが困難である。次世代リーダーの育成においては早期からこれらの能力開発に焦点を当てた育成プログラムの設計が求められる。以下に現代の経営トップに求められるコミュニケーション力・事業推進力の例を挙げる。
<コミュニケーション力 例>
- 多様な価値観を持つ従業員との対話
- 投資家との建設的なエンゲージメント
- メディアや社会との適切な関係構築
- グローバルなコミュニケーション能力
<事業推進力 例>
- スピーディな意思決定と実行力
- イノベーションの促進
- 組織変革の推進
- リスクマネジメント能力
これら3つの変化は相互に関連しており、従来の枠組みにとらわれない、新しいリーダーシップ開発のアプローチが求められた背景となっている。
Chapter2:既存の人財開発モデルの限界と次世代リーダー開発プログラムの必要性
2-1.コーポレートHR主導の人財開発の限界
コーポレート人事部主導の人財開発モデルは、全社的な視点から統一的なプログラムを提供できる一方で、急速に変化する事業環境に適応した人財開発を実現することが困難になっている。陥りがちな状態として、例えば事業特性への対応の遅れが挙げられる。具体的には各事業部門の特殊性や課題に対する理解が不十分なまま、画一的なプログラムを展開することで育成効果に限界を迎えている場合や、育成効果を上げられたとしても事業環境の変化への即応が困難となっている場合である。また実践的な学習機会の不足も挙げられる。具体的には座学中心の研修プログラムに偏重することで実務との乖離・実践的なスキル開発の機会不足が発生してしまう場合である。3点目にフィードバックループの欠如が挙げられる。具体的には現場からのフィードバックの反映が遅い場合、そもそも効果測定が十分にできていない場合、プログラム改善のサイクルが長期化している場合に該当する。
これらの限界を克服するためには事業部門との密接な連携体制を構築したうえで、アジャイルな人財開発プログラムを設計するとともに、実践と理論の効果的な統合、継続的なプログラム評価と改善の仕組み作りに注力しなければならない。
2-2.事業部門主導の人財開発の限界
事業部門主導の人財開発は、事業特性に応じた実践的な育成が可能である一方で、経営トップに求められる幅広いコンピテンシーの開発という観点では限界がある。以下に陥りがちな課題の例を挙げる。
<事業部門主導の人財開発における陥りがちな課題>
- 視野の狭さ:
特定の事業領域に限定された経験、クロスファンクショナルな視点の不足、グローバルな視点の欠如、等 - コンピテンシー開発の偏り:
事業推進力への偏重、全社的なマネジメントスキルの不足、ステークホルダーマネジメント能力の開発機会不足、等 - キャリアパスの制限:
部門内での異動に限定される傾向、多様な経験機会の不足、新規事業経験の機会限定、等
これらの限界を克服するためには、まず部門を越えた人財交流を促進し、異なる事業領域での経験を通じた視野の拡大を図る必要がある。また、全社的な視点での育成計画を策定し、戦略的な人財開発を推進することが重要である。さらに、多様な経験機会を意図的に創出し、次世代リーダーとしての成長を促進するとともに、外部知見を積極的に取り込むことで、新しい視点や専門性を強化していく必要がある。
2-3.管理職層主導の人財開発の限界
管理職層による人財開発は、直接的な指導と即時のフィードバックが可能である一方で、次世代リーダーの育成という観点では重要な限界を抱えている。
<主な限界>
- 視座の限界:
管理職自身の経験や視野の制約、経営層として必要な視座の理解不足、変革的リーダーシップの開発機会不足、等 - 成長機会の制限:
日常業務の範囲内での育成に留まる、チャレンジングな機会の提供不足、イノベーション創出の機会限定、等 - 指導力の課題:
管理職自身の指導力不足、次世代リーダー育成のノウハウ不足、時間的制約による指導機会の不足、等
これらの課題に対応するためには、まず管理職自身の育成力を強化し、次世代リーダーの育成に必要なスキルとマインドセットを醸成する必要がある。また、外部メンターを積極的に活用することで、新しい視点や専門的な知見を取り入れることが重要である。さらに、経営層との直接的な接点を意図的に創出し、経営の本質を学ぶ機会を提供するとともに、組織の枠を越えた育成の仕組みを構築することで、より包括的な人財開発を実現することが求められる。
ここまで解説した3つの限界は、次世代リーダー開発において相互に関連している。効果的な次世代リーダー開発のためには、これらの限界を認識した上で、コーポレート人事、事業部門、管理職層が連携し、それぞれの強みを活かした統合的なアプローチが必要となる。
Chapter3:サクセッションプログラムの要諦について
3-1. 全社最適の視座での次世代リーダー人財開発
改めてサクセッションプログラムの目的は、企業の持続的な成長と価値創造を実現できる次世代経営者の育成にある。この目的を達成するためには、自部署や事業の利益を超えた、全社最適の視座で次世代リーダー人財の育成を考えることが極めて重要である。
多くの企業では、事業部門の業績や成果に基づいて次世代リーダーを選抜・育成する傾向がある。しかし、この アプローチ では、特定の事業での成功体験に基づく限定的な視野を持つ経営人財しか育成できない可能性がある。真の次世代リーダーには、個別事業の成功を超えて、企業全体の価値最大化を追求できる視座が不可欠である。
全社最適の視座での人財開発を実現するためには、まず育成の機会を戦略的に設計する必要がある。異なる事業領域での経験、全社的なプロジェクトのリーダーシップ、経営企画での戦略立案など、多様な経験を通じて全社的な視点を養うことが重要である。また、評価基準においても全社最適の視点を重視する必要がある。単なる担当事業の業績だけでなく、他部門との協働による価値創造、全社的な変革への貢献、長期的な視点での意思決定など、より包括的な評価基準を設定することが求められる。
さらに、現CEOや経営層との対話や協働の機会を通じて、全社的な経営判断の本質を学ぶ機会を提供することも重要である。形式的な引き継ぎではなく、経営の本質に関する深い対話を通じて、全社最適の思考を体得させることが必要である。
このような全社最適の視座での人財開発を実現するためには、人事部門、事業部門、経営層が緊密に連携し、一貫した育成方針のもとでプログラムを運営することが不可欠である。また、育成対象者に対しても、自部署や事業の枠を超えた視点での思考と行動を促す明確なメッセージを発信し続けることが重要である。
サクセッションプログラムは、次世代リーダーを育成する重要な機会である。全社最適の視座を持った真の経営者を育成するためには、プログラムの設計から運用まで、一貫してこの視点を重視することが必要不可欠なのである。
3-2. 将来シナリオの多様性と自己複製からの脱却
サクセッションプログラムを効果的に運用する上で、現経営者が自分のコピーとなる後継者を求めるのではなく、将来の多様な経営シナリオを想定した人財開発を行うことが極めて重要である。この視点は、急速に変化するビジネス環境において、企業の持続的な成長と価値創造を実現するための核心となる。
多くの経営者は、自身の成功体験や価値観に基づいて後継者を評価・育成しがちである。しかし、このアプローチは将来の経営環境が現在と大きく異なる可能性を考慮すると、重大なリスクが潜在している。デジタル化、グローバル化、サステナビリティなど、経営を取り巻く環境は劇的に変化しており、過去の成功モデルが必ずしも将来の成功を保証しない。将来の多様な経営シナリオを想定した人財開発では、まず異なるタイプの人財を育成対象として選定することが重要である。従来型の経営手法に長けた人財だけでなく、デジタル領域に強い人財、グローバルな経験を持つ人財、変革型のリーダーシップを発揮できる人財など、多様な特性を持つ候補者をプールすることが必要である。
また、育成プログラムの内容も、将来の不確実性を考慮した柔軟なものとすべきである。従来型の経営スキルに加えて、新しいビジネスモデルの創造、デジタルトランスフォーメーションの推進、多様なステークホルダーとの関係構築など、将来必要となる可能性のある様々な能力の開発機会を提供する必要がある。さらに、評価基準においても、現経営者の価値観や手法との類似性ではなく、変化する環境への適応力や新しい価値創造の可能性を重視すべきである。これは、時として現経営者自身の価値観や判断基準の見直しを必要とする挑戦的な課題となる。
このようなアプローチを実現するためには、経営者自身が自己超越的な視点を持ち、自分とは異なるタイプの後継者の可能性を積極的に探求する姿勢が不可欠である。また、取締役会や指名委員会などのガバナンス機構が、この視点を支持し促進する役割を果たすことも重要である。サクセッションプログラムは、単なる後継者の選定・育成プロセスではなく、企業の将来を方向づける重要な戦略的意思決定である。自己複製的な思考から脱却し、将来の多様な可能性を見据えた人財開発を行うことが、企業の持続的な成長と変革を実現する鍵となるのである。
3-3. バックキャストに基づく人財開発ストーリー
サクセッションプログラムの本質的な課題は、不確実な将来において企業の成長を牽引できる経営人財を育成することにある。この課題に対応するためには、将来の複数の可能性を想定し、そこからバックキャストして人財開発のストーリーを描くことが極めて重要である。
将来の可能性は一つではない。デジタル化の進展度合い、グローバル市場の変化、サステナビリティへの要請、競争環境の変化など、様々な要因によって企業を取り巻く環境は大きく変わり得る。それぞれのシナリオにおいて、求められる経営者像も異なってくる。このような不確実性に対応するためには、複数の可能性を想定し、それぞれのシナリオに対応できる人財を戦略的に育成する必要がある。
バックキャストの視点で人財開発を考えることは、現在の延長線上での育成計画を超えて、より創造的で戦略的な育成アプローチを可能にする。例えば、グローバル展開が加速するシナリオでは、早期からの海外経験の付与が重要となり、デジタル化が急速に進むシナリオでは、テクノロジー企業との協業経験が重要となる。
このような育成ストーリーを描く際には、時間軸を意識することが重要である。経営人財の育成には相応の時間が必要であり、将来必要となる経験や知見を、いつ、どのような形で付与していくかを具体的に計画する必要がある。また、育成過程での定期的な評価と軌道修正も重要となる。さらに、複数の育成ストーリーを並行して進めることで、将来の不確実性に対するレジリエンスを高めることができる。異なるバックグラウンドや強みを持つ人財を、異なるストーリーで育成することで、様々な可能性に対応できる人財プールを形成することが可能となる。
このようなアプローチを実現するためには、人事部門、事業部門、経営層が緊密に連携し、将来シナリオの想定から具体的な育成計画の策定まで、一貫した視点で取り組むことが不可欠である。また、育成対象者自身も、将来の可能性を見据えた主体的な成長への取り組みが求められる。サクセッションプログラムは、企業の将来を左右する重要な戦略的取り組みである。将来の複数の可能性からバックキャストして育成ストーリーを描くことで、真に価値ある次世代経営人財の育成が実現されるのである。
本稿で述べた次世代リーダー育成の課題と方向性は、多くの企業が直面している普遍的なテーマである。この複雑な課題に日々向き合い、試行錯誤を重ねている人財開発担当者の皆様にとって、本稿での考察が今後の取り組みを検討する際の一助となれば幸いである。組織の持続的な成長の鍵を握る次世代リーダーの育成という重要な使命に、共に取り組んでいきたい。
■文責
組織戦略支援部 部長/Principal 嶺 隆由紀
組織戦略支援部/Manager 長谷川 紗季子